若いころに打ち込んだこと、好きだったものはいつまでも「好き」でいられる。
20周回ってやっぱり好きな「中島らも」の名作ホラーオムニバスの紹介。
1.中島らも「人体模型の夜」との出会い。
中島らものホラーオムニバス「人体模型の夜」のプロローグは「少年」が何度か訪れたことのある「首屋敷」に潜入し人体模型と出会うシーンからはじまる。
中島らも「人体模型の夜」は眼、血、鼻、耳、脚、膝、へそ、腕、骨、乳房、性器と言った人体のパーツをキーワードにした12編のストーリーが収められています。
この本と出合ったのは中学2年生の秋冬(1997年)。テレビ朝日系列で深夜放送された「幻想ミッドナイト」のうちの「膝」の回で原作となっていたことで、中島らも作品の中ではじめて読んだ作品です。
12編。1話20ページ程度のボリュームでさくさくと読めます。
14歳から何度もくり返し読みぼろぼろになった文庫本。
1997年から2017年と20年が経ちました。1年に1回は必ず通読してきたので20周したことになります。
ここまで読み込んだ本はほかにはなかったと記憶しています。
前回の引っ越しの時にだと思いますが、どこかへ行ってしまったので改めて購入し通読しました。
2.マイベストの物語は「貴子の胃袋」
このエピソードの主題は「生物への愛護精神」への問題提起。
【あらすじ】
主人公の娘は夕食時に家族で観たテレビ番組(犬の肉をレポーターが食べるシーンがある)をきっかけに「肉」を食べなくなる。
ベジタリアンとなった貴子はやがて調理器具や食器に移る動物のにおいに敏感になっていく。
「動物を食べるなんて汚らわしい。鬼だ悪魔だ。」と訴える貴子に、母は「お米や野菜だって生物だ。」と当然だが痛烈な一言を浴びせる。
とうとう、家族での食事をしなくなった貴子は部屋にこもり、出される食事を食べもせず部屋内で腐敗させていく。
両親が異変に気付き、貴子の部屋へ踏み込み抵抗する貴子を救出しようとする。
1ヶ月何も口にせず錯乱状態の貴子は「やっとわかった。あなたたちは、お父さんやお母さんじゃない。悪魔だ。悪魔がこの二人にのりうつって、私に汚れた物を食べさせようとしていたんだ。私に薄汚い死骸を食べさせようとしていたんだ」と、包丁を振り回し主人公を切りつける。。。。
格闘の末、貴子をなんとか入院させエピローグでは快方に向かっていくのだが、この一言で幕を閉じる「悪魔なら、殺してもいいのかい?」
人間のみならず「食物連鎖の過程」において生物は生き・死んでいる。
私の場合もこの物語を読んだ直後は「牛」「豚」の殺傷イメージがこびりつきお肉が食べられない時期がありました。
農家さんでは、「ある日」まで名前をつけて動物たちは大切に育てられています。
そう「ある日(出荷日)」までは。
「食事」を単なる生命維持のための行為と捉えてはいけないなと感じさせられたのです。
表現が難しいのですが「すでに死んでしまったもの」を摂取する機会は我々は少なく、「殺傷」「採取」を通じて「生きた状態にあるものの『生』を断たせ」たものを体内に入れている。
その「殺傷」「採取」の行為を過敏となりすぎてしまった例ではありますが、「命の尊さ」について改めて考えさせられました。
3.終わりに
他、どの物語も「中島らも式のユーモア」がふんだん込められていて、「最後の1行」にひっくり返りそうになる程の衝撃を受けました。
まんまと「中島らも」の仕掛けた罠にはまっている。
いや「罠」と言っても悪意はありません。
純粋な「こころくすぐるいたずら」のようなアプローチです。
だから愛してやまないのです。
中島らもはトリックや伏線を張ることが得意ではなく「ミステリーが書けなかった」と聞きますが読者を「笑わせること」「怖がらせること」に非常に長けた作家さんです。
同じホラーオムニバスに「白いメリーさん」がありますが、「人体模型の夜」は前出の通り「人体のパーツ」に着目しているためプロローグからエピローグまで統一感のある作品となっているので、まずは「人体模型の夜」の読書をおすすめします。
中島らもさんは数々の名エッセイも書かれていますので、ぜひ、一冊でも作品に触れてみてください。
最後までご覧くださりありがとうございました。
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日[1])は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン[1]。
【今回のブログのテーマ】
【初めてよんだ、らもさんのエッセイ】
【吉川英治文学新人賞受賞作品】
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