「今の私がいる」のは私の歩んできた人生に関わってくれた沢山の人のおかげ
【今回のポイント】
★生まれたときは身体は弱い子でした
★がんばってはみたものの最初の試練
★流れに身を任せるだけでは解決しない
唇のまわりにいくつかのニキビができました。
小さなころから皮膚が弱くてアレルギーやニキビの予防薬を服用しています。
アレルギーの出やすい食べ物も、脂や糖分も控えていたのですが。。。。
ストレスの蓄積かもしれませんね。睡眠もなんだか十分でない気もします。
今日は少しストレッチしてヒーリングミュージックを聞いてリラックスして休みたいと思います。
今回のブログは私の幼少期から高校進学のころまでの思い出をお話しします。
現在に至るまで、決して私が何事にもストレートに生きてこなかったことを書きますので、お見苦しい処もあるかもしれませんが、ご了承いただきたいと思います。
よろしければ、ぜひ最後までお付き合いをお願いします。
おいたち~小学校まで
私は1982年9月3日生まれで、男3人兄弟の次男です。父は公務員、母は専業主婦(のちにパートタイマー)、祖父母は自営業を営んでいて、19歳で家を出るまでは7人家族で生活していました。
「兄弟で真ん中というのは「放任」されずぶとくなる」と言う理論を聞いたことがありますが、私も漏れなくだったと思います。
ただ礼儀とか学業とか厳しくしつけられ、時に体罰を受けていた悪い思い出が今も残っています。
幼稚園ころは身体が弱く、年に2回は入院(扁桃腺の切除とか、水ぼうそうと髄膜炎を併発とか大きいのもあればその他いろいろ)していました。
アレルギーと喘息もあったので、体育とか身体を動かすことは小学3年生位までほぼなく、肥満体系でした。
成長期は小学校4年生の時にやってきて、一気に身長が15~20cm伸びます。
友達より頭一つとびぬけているので、バスケットボールではセンター、サッカーではキーパーと言うのが定位置でした。
小学校を卒業するころには167㎝位、体系もスリムになり低学年の時の身体の弱さはどこへやらでした。
中学校~高校1年生まで
中学校ではバスケットボール部(スラムダンクブームでしたね)に入り、学業成績は学年5位以内、周囲に押されて中二の時に生徒会役員になりました。
当時一番うれしかったことは初恋もして、ガールフレンドが出来たことです。
毎日気づけば「おはよう」とか「こんにちは」とか挨拶をしてきてくれる隣のクラスの子でした。
恋をすると本当による眠れなくなるんですね。。。みなさんの初恋はどうでしたか?
でも青すぎる中学校二年生、ガールフレンドには触れることもデートに行くでもなく別れの時がきました。
つきあいはじめて2か月後、転校してしまったのです。
知っていたら何か出来たかもしれませんが、私は不器用で、勇気がなく、ただ自分のことを嫌われたくないあまり、何一つ行動が出来ませんでした。
さて、順風満帆かなと言うとき一気に下り坂に陥ります。「いじめ」にあいました。
立ち直った今「どんないじめを受けたか」は今となっては語っても有益ではないと思いますので割愛しますが、「出る杭」「真面目」「目立つ」と言った存在は好かれにくいのかもしれません。友達づきあいは限定的で、「ツルむグループ」に私は入らなかった(賛同できないから)のでターゲットになったのだと思います。
14歳からずっと卒業式まで「ほぼ不登校」だったのですが、当時の唯一の生きがいはギターを弾くことで、部屋こもってジュディマリやGLAYの曲をCDに合わせてよく演奏していました。
学校へはなんとか行けるようになったのですが、教室には足がすくんでしまい立ち寄れませんでした。
幸い先生方の配慮で相談室や保健室などで学習をさせてもらい、給食は職員室で食べさせてもらいました。私が学校へ行く動機付けをしてくれた先生方に本当に感謝しています。
おかげさまで出席日数はぎりぎりでしたが卒業も出来、高校へも進学できました。
ところが集団行動に慣れない・なじめない性格の私は高校に入っても不登校がちになりました。
そんな私もバンド活動をするために「軽音楽部の活動時間目がけて」学校に行く感じでした。
内緒ですが茶髪でお酒もタバコもこのころはじめました。2文字でいうと「不良」です。恥ずかしいことに背伸びを随分としていたと思います。
不良仲間と遊び、ますます学校にも通わなくなった私は当然の結果、出席日数が足らなくなり、とうとう1年生の2学期の終わりに自主退学しました。
【終わりに】
誕生から16歳までの振り返りでしたが、ここまででも随分と迷い道を進んでいるように思います。
ただその原因を作っていたのは「私」です。今日ここまで振り返っただけでも、周囲が手を差し伸べてくれたタイミングはたくさんあったと痛感します。
「ああしたい」「こうしたい」と言うのを真剣に考えず、何度も出てくるキーワードですが「嫌われたくない・認められたいだから顔色を窺う、流れに身を任せる、あとはその時次第で」と言う意識が強かったのだと思います。
「真剣に考え・話し合う」それが出来なかった。あの時は勇気がなかった。
誰かと「話し合う」ことは「自分の考えや進む道」を「思い付きから信念」に変えていく手順であると、いま私は考えます。
「話を聞いてくれる人がいるから」
「話をしてくれる人がいるから」
今、私は勇気を持てています。
このことを今一番伝えたい人がいます。
それは昔の自分に対してです。
「人生、回り道をすると成長するって本当だよ」って。
いつか続きをお話しする機会がありましたら、また私の半生を告白します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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