東京の街をウォーキングしながら約30分間、
あいみょんの「生きていたんだよな」を
聴き続けた。
1回目はわけもなく震え。
3回目を超えたとき涙が流れた。
10回目で心に生まれた「アンサー」を記す。
泊りがけの出張があり、東京駅から会議室まで30分程度ウォーキングを要したので、あいみょん「生きていたんだよな」を聴き続けた結果。
久しぶりに「命」について考える機会をこの曲から貰った。
命は有限。いつか存在が無くなる日がくる。
そう想うと胸が痛い。
「生きた証」を残したい。
私は何を以って「生きた証」を残したと言えるのだろうか。
【まずは、あいみょんのオフィシャル動画】
あいみょん - 生きていたんだよな 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
あいみょんを知ったきっかけ
「あいみょん」不思議なアーティスト名です。
(1995年3月6日[2] - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、作詞家。兵庫県西宮市生まれ[3]。
男性の好きな女性に対しての必死な様などが好きであり、なおかつ憧れであるため、男性目線の曲を多く作り出している[6]。
山崎彩音さんの曲「キキ」と出会ってから近年の女性シンガーソングライターの楽曲に惹かれて様々なアーティストの音楽に触れていたところ、「あいみょん」さんの存在を知りました。
「あいみょん」は205年3月に「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」でインディーズデビューしています。
「彼氏のことが好きすぎ身体のパーツを解剖して自分のものにしたいくらい」と言う、かなりクレイジーな表現をする衝撃的な歌詞で話題となりました。
今回ご紹介するのは、あいみょんのメジャーデビューシングル「生きていたんだよな(2016年11月30日リリース)」です。
こちらはテレビドラマ『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』のオープニングテーマとなっており、初のドラマのタイアップ曲になっています。
生と死を描く「生きていたいんだよな」の歌詞とストーリー
あいみょんの歌詞は独特の世界観を持っているが、現実離れしているわけではない。
時に「放送に乗せられない」ような刺激的なものもあるが、ストレートな言葉の選択によるものであるが故。
さて、「生きていたんだよな」のストーリーについてです。
主人公の住む街の近所で2日前に自殺があった、少女の自殺にたちまちネットは炎上し、現場を整理するための「危ないから離れてください」の声は、やじ馬たちを逆に「集まれ」と誘導するかのよう。
少女が落ちた冷たいアスファルトを面白おかしく写真に収めていくやつらがいる。
その地面に残る「血」があまりにも赤く綺麗で主人公は泣いてしまった。
曲調はアコースティックギターのストロークが力強く心地よく流れるなか、目の当たりにしている状況を語りかけるようにはじまる。
そこから「綺麗で綺麗で」の箇所から「主人公の内面にある感情」に入っていく。
サビは死んだ少女のココロへの思いに寄り添う言葉である。
「生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きていたんだよな」
「最後のサヨナラは他の誰にでもなく自分に叫んだんだろう」
サヨナラは少女が少女自身へ
サヨナラは少女が社会に対して
サヨナラは主人公から亡き少女へ
考察「主人公は少女の死に何を見たのか」
まず、今を「面白おかしく」生きている人は「死」についてあまり考える機会はないでしょう。
とくに「自ら手繰り寄せる死」は学校・会社・地域の中で「身の置きどころがある」人には、縁がないのではないでしょうか。
誰もいま自殺を図ろうとしている人に「同情(思いを傾けること)」は出来るけど「同じ体験に基づく当事者の気持ちそのもの」にはなりえないと私は考えます。
ちなみに私は多感な10代を過ごし、睡眠薬の服毒中毒やリストカットなどの経験があります。
あいみょんの歌に、自分が重なり感情が高ぶるのはこのだめです。
「死」と向き合う行為に興味を持ち、調べて、試してみようと思った時があります。
それでも、「10代当時の私」の気持ちそのものは今の私にはもう理解できないので、他者ではとうてい無理ではないかと言うことです。
さて、この曲「生きていたんだよな」では「少女の生きた証である血の赤さが綺麗で」と表現していますが、「血そのもの」が綺麗と言うよりは「精一杯今を生きることよりも、精一杯の勇気を持って空を飛んだ少女の生き方」に美しさを感じたのではないか。
一つひっかかったのは2番目のサビ「新しい何かがはじまるとき 消えたくなっちゃうのかな」と言うフレーズです。
「新しくはじまること」と言うのは私にとっては「希望を持てる出来事に繋がる予感」を感じさせることであり、「消えたくなる」は「もうなにもかも嫌なことが続いていて出口が見えない」時に感じることだからです。
矛盾というか、辻褄がなかなか合わなかったのです。
それでも何度も聴いていくうちに理解することが出来ました。
ポイントは「何かがはじまる」の「何かが」です。
具体的に明言されていないので、私の紐解いたイメージをお話しすると物語の中で描かれ少女はこれ以上ないほど「人生に打ちひしがれている状態」ととれます。
「新しい何かが始まる」のは「これ以上救いのないことが起こり得ることに恐怖心を持っている」と言う背景も見えてきます。
見えない恐怖の存在。それは他者との繋がりであり、「世の中への絶望感」です。
また、「消えたくなっちゃうんだろう」と悟る、主人公の背景にも「生きづらい世の中」があると見えてくるのです。
「自分も例外ではない」 と。
終わりに
あいみょんの「生きていたんだよな」は、聴くたびに新たなイマジネーションが生まれてきます。
私が流した涙は『口の中に「ミンティア」を多く放り込んだせいさ』なんてごまかしながら、その後も繰り返し繰り返し「生きていたんだよな」を聴いた。
数を数えることが何の意味もなさないのを知っているから、気が済むまで聴こうと思います。
音楽は「リスナーのイマジネーション委ねる」要素が詰まっているから好きだ。
そして謎解きは化石発掘や宝石磨きのようで「アーティストの意図」を再現するにはエネルギーを要すが「形が見える(意味が分かる)」と止められない。
明日もまた、素敵な音楽と出会いたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。