私は私が私であることを意識する以前から
私として存在している
普段見ている世界から一歩出ることは勇気がいることもありますが
「最近停滞しているかななんて悩んだとき」は、足の遠ざかったところへ出てみてはいかがでしょうか。
今日はに久しぶりに長野県長野市に行ってきました。
「今日も」組合活動です。
「労働組合」と言うと「やらされ役員」または「甘い蜜をすう役員」と言ったネガティブなイメージを持たれている方、多いんじゃないでしょうか。
私にとっては「組合活動」は「会社以外での勉強の場(一種の大学)」と認識しています。
「働くとは」「生きるとは」永遠のテーマではないでしょうか。
たくさんの仲間たちと考え・語り・明日を創る。とても大切な時間を過ごせています。
写真は長野のお土産「雷鳥の里」です。
実は私にとって、とってもなじみの深いお菓子なんです。
私の実家は新潟。
父のたまにの長野への出張のお土産は毎度この「雷鳥の里」だったんです。
今も昔も変わらぬ味。美味しいですね。
今回買ったのは5本入りのスモールパッケージながら雷鳥のイラストカードもいっちょまえに入っていました♪( ´▽`)
哲学的な文言で、今日のブログはスタートしましたが、難しい話はしませんのでぜひ最後までお付き合いをお願いします。
「ならねば・なくては」とは
「ならねば・なくては」は理想像が高い・強いときに出てくる表現です。
では理想像はどうやって描くかと言うと主に「周囲を見て」だと思います。
周囲と自分を比較して「ならねば・なくては」です。
ナンバーワンとまでは言わなくても、平均では物足りずちょっと上をいきたいという心理は誰しもが働くのではないかなと思います。
でも、「上級でないとダメ」となると本人は真剣かもしれませんが、息苦しいかなと思います。
かつての私は「ならねば・なくては」の塊でした。
TPOを意識してみる
TPOという言葉あります。「時と場所と場合(Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合))」に適したものをという略語です。
すべての状況下において「素の私」であることは難しいことです。
「部屋でごろっと寝転がって、お尻を搔きながらテレビを見る」これも素の私であることはまぎれもないですが、あくまでも「自宅で一人きりで、とくにすることもなく」のTPOだからであって、それが「心地よいからいつもそうしていたい」と言うことはありません。
会社、会議中、満員電車の中、高級レストラン、プロレス観戦などなどTPOは様々ですが、「周囲から見られたい自分像」であろうとするのは息苦しいです。
ただ、臨むべきTPOがどんなものかは(事前に)知っておく必要があります。
身体一つもっていくだけなのは、その場で「何もできない私」になってしまう可能性があり心もとないです。それでは不本意できっと終わります。
結局は「私」
「意外でした」と言われることが最近は好きになってきました。
これまでは周囲は私のことをどう見ていたかを「良い意味で覆している」からです。
「人間味がある」ことを私は表現してきたかったのですが、「できる人」の理想を長い年月持っていたため逃げ場がなくなっていました。
「なけねばならなくない」変な呪文のようですが「なければならない」の否定です。
「人生においてすべてがすべて理想のようにならなくてよい」と思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。