ギフトラッピング応援いってきた(。-`ω-)
父の日が来週6月18日に迫っています。
今日は今シーズン初そして最後の「父の日ラッピングカウンター」応援。
受付から回ってくるお買上商品を「包装紙や布袋、ギフトボックスなどお客様が指定のスタイル」で無料ラッピングする作業です。
1品目5~10分の勝負。プレッシャーが否が応でもかかります。
これはギフトシーズン臨時のカウンター設置と応援なので、毎回毎回ドキドキです。
12月は子供用品、5月はお花屋さんときて3回目。確実に自信はついてきています。
100%手順のマニュアルは無く、「お客さまに失礼に当たらぬように、①値札を取る②ヨレやしわがつかないように商品をガードする③お渡し間違えに注意する」と言った基本を押さえておけば、あとは「見よう見まね」で、数をこなすことでマスターしていく「自分なりの創意工夫(こだわり)」が楽しめる一面もあります。
とは言え、包装紙のラッピングは難易度が高いのでYouTubeの動画視聴をしてイメージトレーニングしちゃいました。
大きなトラブルは発生しなかったものの1個だけ「値札取り忘れたかも」と気づいてアタフタしましたが、ご精算の時にレジにて「値札」は取って貰えていたようでした。
ホッ(。-`ω-)あぶないあぶない。怖いなー怖いなー。
毎日毎日イベントは必要か?
流通小売業は「販売の為」に「節操なく毎日毎日イベントを企画している」と揶揄されることがあります。
一理のかもしれませんが、「お客様(生活者サイド)」も「毎日毎日同じことの繰り返しで代り映えがない」よりは「日々楽しく・豊かな気持ちで過ごすのにメリハリがあっていい」のではないでしょうか。
その発信基地が「小売店」であればいいなと。それが私の信念。
家族のつながりを考える
さて母の日が終わって1ヶ月。
「母をほめたたえ感謝する」1日があれば、「父」に対しても同様の価値観を持つのは
「当然のこと」なのだろうか?
人間は「1人の人間(母親)の腹の中で育ち産まれてくる」が、生命の誕生には「男」と「女」両方の性別による交配が必要だ。
私も「ある二人の人間(まわりくどい言い方をせずに言えば両親)」の「子ども」であり、彼らも昔は「子ども」だった。
「産んでくれと頼んだ覚えはねぇ」なんて不良の戯言を私も10代の頃に両親にぶつけたけれども、「そんな子に育てた覚えはねぇ」とトップダウンの言葉を両親は発することは無かった。
泣いていた。ドラマの見過ぎだよ。
それからもあまり良好ではない親子関係がずっと続いて、千葉に住んでいた2年前に「親子の縁を切ってくれ」と言われた。
遠慮なく切らせてもらって1年が経ち、自分が築いた「家族」についても縁を切った。
そういう訳で今は一人ものです。別に悲しくとも何ともない。
むしろその間の2年間は「形だけの家族」と言うつながり方が、「離れて暮らしている」ことの寂しさを誘い、重く重く心にのしかかっていたので「切ってみると」すがすがしさを感じるほどでした。
「形だけの家族(生活実態のないつながり)」は、おそらく私の性格からすると「あるべき(理想の)家族」とは「かけ離れすぎ」ていたから「これではいけない。なんでこうなるんだ」と言う自分勝手な「怒り」の感情があったのだろうと思うのです。
今年の母の日は「風の吹き回し」で「カーネーションのギフト」を贈った。
父から「ありがとう」のメッセージがメールで届いていた。
消したよ。速攻。父が嫌いだから。
終わりに
とは言え、父の日に何もしないのもなぁと思っていて。
「山梨名産ギフト」を贈ろうかと企んでいる。
もう一度言うが、「私は父が嫌い」だ。
だが「父が好きなもの」はよく知っている。
宿敵のことを「研究し理解する」ことが攻略することの近道なのです。
まったくもって複雑な気持ちである。