握手してますか。
人の手から体温を感じていますか。
家を一歩出た社会で本音を伝える人がいますか。
同様に、あなたは誰かの「受け皿(感情の行き先)」として役割を果たせていますか。
今は物理的に身体をつなぐ行為である「握手」が最良のコミュニケーションなんて私は思っていますが、
「握手」にかわる「一番人がつなっげいると感じる行為」がもっともっと増えていけばいいと思う。
握手は「挨拶」をする上での最良のコミュニケーションであると思う。
「こんにちは」「さようなら」「またあおう」「お前ってすげえぇよ」「ありがとう」
「言葉のニュアンス」なんて対象となる人物寄り添う思いで七変化していきますが、いろいろな言葉が「握手」をはじめとした「身体の一部が触れ合った瞬間」に交錯する。
ところで、社会に出ると極端に「人の身体に触れる機会」を減らしませんか?
「体育」という「身体を触れて感じる授業」も学生時代にはあったかもしれませんが、社会人になると、どんどん「顔色をみてビジネスをする」よううになってませんか?
「身体に触れる」のは一番ハードルが高いんですよ。
下手すると「お前になんか触られたくない!」ってなるでしょうし、「満員電車で見ず知らずの人に、痴漢行為をされる」というのは言語道断です。
「身体に触れる」のは「触れ合う」お互いの信頼関係に基づき成立します。
「生まれたての赤ちゃん」は「触れ合うことで己の存在を知る」ので触られ放題になりますが、それは別格です。
自己のある存在と「触れ合う」のは、特別な行為であることを「わきまえ」なくてはなりません。
そのうえで。。。
手をつないだ瞬間に、エネルギーが通い「相手が何を言わんとしているか」かを「受け手が受け止めよう」とする。
「音」で伝えるには「言語の壁」や「響き・振動」による影響がある。
握手は身体に直接触れる。それも「適度な距離感」を感じながら出来るコミュニケーションです。
昨日、会社を離れる先輩と両手で「別れを惜しみ」ガッチリ握手した。
ただ「握手」は「挨拶のひとつの手段」と捉えると味気ない。
すこしだけつないだ手を「上下」に振って「力」を込めてみた。
こちらにも返ってくる手応えがあった。
握手は「別れ際」より「出会いがしら」のほうがもっといいな。
感情を出せるのが、「何か大事なことを失いそうにあることを実感するとき」か「酒を飲んでテンション上がり、とりあえず分かち合いたいから爆発させる」とき位になりがちなように見える(周りを見回してー))なのを抜け出したいな。
本音をもっと出したい。
mission complete!