まず、このエントリーを最後まで読んでいただけた方に、本気でお願いします。
「はてなブックマーク」を押してください。
「おすすめ記事」と「新着エントリー」に載りたいんです。
それだけ本気で、このエントリーを書いています。
あざといタイトルを書くことはできません。
しかし、対象範囲が世の中とは言いません。
僕が所属する組織を起死回生させる為に、言葉を拡散したいんです。
リツイートもいただけると嬉しいです。
本題です。
タイムリーなことはTwitterに呟き
その中でエントリーとして成立しそうなテーマを見つけてブログにしています。
今日もお約束の1000文字目指して頑張ります。
僕が、今この瞬間(「この瞬間に」と言うのがミソ)に大嫌いな人のタイプをあげると
役割を「やっつけ仕事の塊」と捉えて、「とりあえずヤル奴」と「それでもやらない奴」がいます。
せっかく貰えた役割を「自分の中で咀嚼」し、周りと自分をハッピーに出来たら幸せじゃないですか?
理想を描いて止めるんじゃない。
「夢を描いたら語り、役割を貰って実現する。」なんでそれを避けようとする人が多いのか。
嘆きたくなるんです。
僕が口に出すとき、本音を語るときは、「本気で怒っている」ときです。
接触される、刺激を受ける、自分とは違う価値観をつきつけられる
それは事象でしか、ありませんし受け入れられることがほとんどです。
誰しもできる「我慢」によって世の中で起きていることは、やり過ごせます。
それでも怒りたいことは生まれるものです。
「本気で怒る」とは、どういうことかと言うと「我慢の限界を超える」と言うこと。
僕「あなたは、言った。やると言った。やらないとは言わなかった。でも蓋を開けてみたらどうだ。結果に表れていない。やったのか。やらなかったのか。どっちなのかい筋肉ん。」
回答「やってなーーーーーーーーーーーーーい!」
僕「このハゲーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」です。
僕は隙あらば「役割を担えないか」探して買って出てきた。
その結果が今にある。はずです。
1.中卒のバカが生れた瞬間。
中卒のバカが、大手流通企業の労働組合の中央執行委員および事業単位での組織事務局長をやって、大卒でもなかなかたどり着けない職位(会社内での等級付け)まで登り、今や曲がりなりにも「課長」に進言できる立ち位置までになっています。
ここで疑問を持つ方もいるでしょう。
「その会社、そんな馬鹿を抜擢するなんて糞」と。
違うと言い切ります。
「会社のニーズに乗った」ことは事実かもしれませんが、僕は努力した。本気になった。
頭が悪いと言う意味ではなくて「バカになって物事に集中する方法」を知っているからただひたすら、やり続けた。
それだけの事です。
それだけの事。
「高学歴の人が使えない」と、言うと「高学歴の人100人」を指しているようだから間違い。
でも「高学歴の人が、高学歴であることのポテンシャルを100%発揮できる職場ではない」と言うのは正しいと思う。
逆もあるのではないか。
と言うことを僕は実現したくて努力してきました。
「低学歴の人は使えない」と言うと、「低学歴」は「馬鹿」で終わってしまいます。
でも、「低学歴」は「勉強しなかった」ことを表しているのではなくて「大人になって社会的に説明できる履歴と実績」が「無い」だけでしかありません。
僕は、15歳の1月に、両親と当時通っていた中学校の校長先生の処に行って頭を下げました。
あれから20年。校長先生は、僕のことを覚えていないかもしれません。
でも、僕は忘れられない。あの時のことを。
お願いしたのはひとつだけ。
「義務教育である、中学校を卒業した記録だけは残させてください。」
あなたはこれを、どう受け止めるでしょうか。
結果は、みなさんにアピールしている通り「中学校」は卒業させてもらえたから「中卒のバカ」なんです。
それ以降の話は別のエントリーに譲ります。
2.まとめ
さて、そんな中卒のバカが「学歴と実績は関係ない」ことを「平成時代」に証明するのは苦労します。
昭和的な日本男児たる処もありつつ、平成の多様性社会に生きる価値観を持つ。
つまり「ハイブリッド人間」にならなくてはなりません。
よく「役割が回ってきた」とぼやく人がいますが、僕は、勿体ないと思います。
僕なら「役割を回してくれませんか」と言いたくなります。
付け加える言葉があるとすれば「ほかに、僕以上にやる気を見せている人がいなければ」と「選ばれたら本気でやります」それだけです。
「役割」を「やる人がいない」から「仕方なく自分がやる」スタンスは価値がありません。
そこが、僕が「本気で怒りたいところ」です。
「やるからには本気でやれよ。巻き込まれる人間が迷惑なだけなんだ」と。
高学歴VS低学歴の話ではありません。
でも、高学歴な人間を何人か抱える事業所に僕はいて、僕の顔と名前と役割を知らない人間はいないと自負しています。
たった1年でここまで漕ぎつけました。
やることは単純です。
「自分にできることを増やすこと」
「それによってサポートできる人を増やすこと」
「愚痴でもなんでも、まずは聞くこと」
「無理・厳しい・駄目の結論はあらゆる手を尽くした後にいうこと」
「お願いしてやってもらった事に対しては必ず返事をすること」
もっともっとやっています。
毎日できないことはありません。
今、一番に与えられている、僕の役割は
「高学歴」の人のスイッチを入れて「本気にさせること」に尽きる。
「低学歴の人間」に対して、事業所のトップから依頼されたことがこれです。
この「オファー」に対して「僕が本気にならない」訳がないんです。
組織に属することを嫌う人が多いと聞く。
僕なりに考えてみました。
組織は大きければ大きいほど「自分のやりたいこと」が出来なくなります。
事実です。
組織は大きければ大きいほど「自分の存在価値を発揮する」ことが難しくなります。
事実です。
組織は「色んな人がいて、嫌いな人とペアを組まされたら自分らしさを殺しつつも時間を過ごさなくてはいけないので苦痛」です。
事実です。
事実はネガティブなのですが、本気になり、チャンスがあれば上記の3つは全て「自分のアクション次第でなんとかなりそう」って思えませんか?
「社畜」の言葉が大嫌い。
この組織には「飼いならされるしかない」と痛感するほど、まだまだ僕はなにもやれていない。
「自分をもっと周りに売り込め!やれるだけのことは玉砕してもやれ!無知で論破されたとして恥を書いても本音を言え!」
それをしないで、何を言うか。
「機動戦士ガンダムのアムロ・レイ」が「ブライト」にビンタされ「父さんにも殴られたことないのに!」と「自分の経験不足の告白」と「圧力をかけるものへの反抗」と「それでも、人はぬくもりのある処へ帰り、己の価値を発揮しようと切磋琢磨する」と言うことを複雑に絡めた描写があります。
「真面目」は得にならないことを祖父に教わりました。
「自分を殺すことの矛先はより身内に向かうこと」を父に教わりました。
自分が生きていた証を「何かに残しておく」それが、僕らにはできる。
努力次第で。
それを、君に言いたいい。
君は「ライザップに通い、体重が30キロ落ちたこと」をほくそ笑んで自己満足しているべきではない。(言いたい人=モデルがいます。)
せめて「ライザップに行って、僕も結果にコミットできました。やればできる!」とか
メッセージを発信してください。
「それができる人間に君がなる」ように、明日から僕が君に対して働きかける。
「君にサポートをさせてもらえる役割を担わせてください。一緒に未来を見よう」
mission complete!