エントリーを日々残し続けるのは素晴らしい。
1000文字刻み込む木のは本当に素晴らしい。
まだ「1000文字」にこだわるのは、
本気で思いを誰かに伝えようと思ったら「1000文字では正直足らない」のが僕の本音です。
引用や、「あ」とか「い」とか「ピカ」とか「チュー」とかで画面を埋めて評価を僕もしてもらいたい。
世の中は不公平!!お願いしますよ!
さて、
1.弟の結婚を本気でお祝いしてきた話
昨日は久ぶりに弟と「酒」を飲みに行きました。
「お酒を飲む行為」は、「自分を高める行為の一つではない」と僕は2年間お酒を断ったので断じてきました。
しかし「行為」として「酒を飲みたい」と欲求があるとするならば、
「欲求が生れる本質」を求めたくなってきます。
それが「自我の解放(勇気や度胸の補正)」の為ではないか。となりました。
「お酒を飲むこと」は「飲んでからしばらくの時間、自己を高める要素」を生み出しはしない。認めます。
でも「昨日まで知り合えなかった誰かとお酒を飲んだ」出来事は「その後の自分の人生の在り方を左右する」位のインパクトが起こり得ると信じていいことがあります。
そのために「素面ではできないこと」にチャレンジさせるためのドーピングも必要です。
何を飲むかより
誰と飲むか
どんな会話ができたか。
明日につながったか。
それが一番大事。
話を戻すと、弟と一緒に八重洲で酒を飲みました。
今日は弟から二つ提案があって、
一つは、最近結婚した「弟とお嫁さんと両家での門出を祝う会への出席。」と
もう一つは、「その前にうちの親父とお袋と4人で会う」こと
二つ目の方がハードル高いぜー。
なんせ2年間、僕は親父とお袋と音信不通なのです。
向かい合って「話すこと」がない訳ではありません。
軋轢が生れる前までの関係に「取り戻すこと」は出来なくても「埋めたい時間」が僕にはあるのですから。
振り返りますと2015年の3月22日に僕と親父は「親子の縁を切る」と一度言い切った。
そこからは「他人」と思って僕は生きてきました。
それは「思い込み」はなくて「事実」なのです。
「記憶にない」「勘違いでした」と言う言葉は、一切ないのです。
両親から愛情を持って育てられた(と信じている)僕としては「恨みも・怒り」もない。
でも、僕を育てた両親からは「憤り」や「悲しみ」があるかもしれない。
なぜならば、両親が想像することができなかった生き方や発想力を持った生き方を「僕がしてきた」それが「事実」を生み出した。のです。
それを弟に伝えた上で。提案をいただきました。
やりましょう。やろうよ。
喧嘩をするためでもなく
お互いの「折り合い」をつけるためでもなく。
「わかりあい」家族全員で弟とお嫁さんを祝福し、もう一回家族のスタートを切る。
やることがゴールではなくて、スタートなんですから。
家族の絆を深める「きっかけ」を弟に提案してもらえた。
あとは「本音」で「僕と親父とお袋が喋ることができるか」です。
「価値観が違うよー」と思えば、何かと「お互いを避けること」で解決ではなく解消するでもなく緩和するでもなく「時がたち、距離を置くこと」で乗り切ってきた関係だったように思えます。
いい機会を作ってっくれた弟に感謝しています。
mission vccomplete!
と、言いたいとこだけどなー。少しディスります。
2.終わりに
「本音」だ「本気」だと、僕はブログで語ります。
それは「かっこいい」からではありません。
「泥臭いこと・汚れること」をせずに、「効率的に効果的なことをしよう」とする周囲への反発です。
社会的にも現実的にも「効率的に効果的に」ことが運べば「これほどいい」ことはありません。
でも、それ以前じゃないの?と思うことが「いっぱい」ある。
そんな中で「僕自身が、やりたいことで溢れてくる」んです。
「僕じゃなくても出来ることは、僕以外にまわしてください」
「社員A」に収まりたくない「野望」を持った僕がいます。
「やること」をやった上で「やりたいことをやりたいようにやる」。
でも、「やること」が、そもそも「わかっていない」やつは本気で降ろす。
飛べない豚は「ただの豚」体系を意味しているわけではないぜー。
「やること、やれよ。このデブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」