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中卒のバカでもわかるマーケティング

デジタルマーケッターを目指す「へっど」が調査・入手したマーケティング技法や 最新トレンドを発信します。時々くじけることもあるけど泣かないもん。

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「言及」ってなんだ!?執拗にターゲットを攻撃する姿に、「思想の強制」を見た。

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昨日のエントリーが「低次元過ぎ」だったので、今日は本気で書こうと思います。

 

ブログをはじめて、4か月くらいたったブロガーさんなら「染みる」かもしれません。

僕がそうさ。

 

ブログを続けるのは大変。僕も同じ。でも外部環境の変化で「ブログ閉鎖に追い込まれる」事例を結構見ます。

 

僕らは「自身のブログ(思考・意見・トレンドのアンテナ)」を高める前に、知らず知らず(意図せずに)「誰かを押しのけて上に上がる」手段を取ってしまうことがある。

 

その理由は「ブログ」と言う市場が飽和状態で、注目を浴びるには「ありとあらゆる、出来そうな行為」はどれもこれも「やってみたい」と言う願望が生れるものです。

 

ブログは以下の3つ(もっといっぱいあるのですが)の魅力があります。

①お金をかけずにできる

②好きな時間にできる

③一人でもできる

 

少なくともこの3つの理由があるから「当たれば儲かる」を夢見て、日々ブロガーが生れ、ブロガーが死んでいるんです。

 

「自己の技術練磨」と「他社の脱落」、「戦う」為にはどちらもやらなければならないでしょう。綺麗ごとでは「世の中」はすみません。

 

となればバランス感覚なのではないでしょうか。

 

今回のエントリーではそんな「ブログ界」の動態ではなくて、ブロガーを死に追いやる(いわゆる殺人行為)「言及(焚き付け?)」について思うことを徒然と。

 

言葉の揚げ足取りは「やめやがれ!」。

ま、ブログなので「勝手にしやがれ」なのですが。

 

 

1.僕の最高は君の最低。そんな関係性を漂う

 

僕にとっての心境として「価値のないブログを見てしまったたなー。なんであんなやつの逆さピースの画像がドッカーンとくるブログを今日も見てしまったんだろう。相変わらず根拠はないけど、俺はこれやったあれをやった。成功しているぜ。君もやってみてくれよな!みたいな夜の通販番組の男性ナレーターがしゃっべいる声が似合う。。。。。」と、言ったような印象を「僕のブログ内で書く」のは自由でしょう。

 

しかし、「さいってい!(最低)」「さいってー!!(最低)」の絶叫が拾われている「ミラノコレクションA.T.」さんの解説しかり、「受手の思い」をストレートに口に出しただけでしかないので、「避難」でも無いし「個人攻撃」でもないし、「あんなブログなんて読むのはアホ」なんて火に油を注ごうなんてものではありません。

 

僕にとっての「最高」は、君の「最低」

君にとっての「最高」は、僕の「最低」

 

そんな関係性なんだと思います。

 

2.「言及」って言葉、流行ってるの?

「話があるところまで、達する」と言うのが「言及」の意味だそうです。

言及の意味をわかりやすく | 意味解説ブログ

この「あるところまで」と言うのがなんとなくひっかかりませんか?

 

僕は正直なところ「言及」に違和感を感じるのです。

「言及」がさすところの棲み分けではなくて「言及」と言う行為を「勘違い」したひとのエネルギーです。

 

話を進めるにあたり、過去の事例が必要。だから「触れる(あるところまで、およぶ)」とか

例)過去の事例にみる、現状課題の解決策。で、その昔江戸時代では~みたいな。

 

ひとつのジャンルの話を深めるために、多ジャンルを引き合いにだす必要があり「触れる(あるところまで、およぶ)」とか

例)消費市場を捉えるにあたり提供する「モノ」を厳選する為に、注目するのは人口動態だ。ここ10年で◎◎県は他県からの流入が10%増加している。買うものが変わるわけだ。

 

一つ目は「現在」と「過去」の結びつき。二つ目は「モノの流通」と「人口動態」の結びつき。

 

つまり、何かを論じるときには情報の収集と根拠づくりが必要。

さらに例えると「任天堂がNintendo switchを発売した。売れている。」だけでは

事実を証明しただけで、「で?」なんですけれど。

 

肉付けとして「ゲーム業界の歴史」や「生活者の生活スタイル」や「金銭感覚」や「ビッグタイトルの発売案内」などをすると、「あーだから任天堂がNintendo switchは売れてるのかーほしーなー」となります。

 

それが「言及」。

 

ではないでしょうか。

 

ところが。

 

3.言及する人の真意とは

「言及」をする人は「自身の価値観」を高めることに「本気」なのだと思います。

 

一方「他人の価値観を上げようとする行為」は独裁とか洗脳ですし、結果「従わせた」とか「操った」の先に何を望んでいるのでしょうか?僕には理解できません。

 

真意はひとつ「自分に無い価値観を知りたい・議論したい・受け入れたい」つまり、「人間としての成長(と言うとでかすぎる)」、高みを目指したいからなんだと思うのです。

 

なぜなら、「僕」がそうだからです。

 

ただ、「言い方とかやりかたは選ばないといけないな。」と、痛感する日々です。

 

アノ記事は「言及」ではない「特定人物」をどん底まで陥れようと「ただただ軍(群)を作って、コテンパンにしたい」とアプローチしている下種野郎なのかもしれません。

 

価値観のボーダーを決めるのは、あなたです。

 

「どうしましょうか?」って言葉が嫌いになってきた。

「こうしたいんですけど、ほかに選択しないですかね?」って言う。

 

反発は食らいますよ。突拍子も無いアイディアをぶつけますから。

そこで怯まない。それでも「こうしたいんですけど」に近づける議論をする。

 

勝ち取るために。

 

「言及」の本質は「自身の意見を肉付けする」ため。

 

でも、やり方を間違えると「声と顔のでかい人が個人に対して行う、『個人的意見』の集中砲火」に過ぎなくなるんですよね。

 

A:「価値観を高める」自己の改善

B:「価値観を押し付ける」思想の強制

 

どちらに、あなたは価値を見出しますか?

 

mission complete!

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