『畜生』
・けだもの。また、鳥獣虫魚の総称。
・人をののしって、人に価しないものの意で使う語。
自分を「棚上げしたうえで上から目線で誰かを攻める」ような印象がありますね。
今日は黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ(MV)」を取り上げます。
【目次】
1.「黒木渚」ってどんな人?
2.「ふざけんな世界、ふざけろよ」に僕が同調する理由
3.まとめ
1.「黒木渚」ってどんな人?
黒木 渚(くろき なぎさ、1986年4月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、小説家。宮崎県日向市出身。
元々は男女混合のロックバンドとして、2010年から2013年まで福岡県を中心に活動していた。
「黒木渚」はギター・ボーカルを務める「黒木渚」の名前を冠した「バンド名」だった時期もあったそうで、個性や音楽性や世界観、「バンド名」にするに値する存在感だったのでしょう。
僕は黒木渚ともう一人「一生付き合い続ける(ファンとしてです)」と思い続けているシンガーソングライターがいます。
※その方については別のエントリーでいつか書きます。
「匹敵する」と表現するのは正しいけれど正しくない。
1990年代は「椎名林檎」
2010年代は「黒木渚」です。
黒木渚の歌詞はエネルギーの発散(言いたいことを言ってやるはありつつも)「棘や痛みを感じない」を感じな言葉選びがしっかりとされていると思います。
声室は力強く芯がありのびやかで朗らか。パワフルだから聴いていて元気になる声です。
2.「ふざけんな世界、ふざけろよ」に僕が同調する理由
黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ」はMVも公開されています。
黒木渚「ふざけんな世界、ふざけろよ」MV(short ver.) - YouTube
内容は黒木渚が「世界を変えようと戦う勇者(われわれ視聴者)を応援する」ものだと捉えています。マーチングパレードのようなMVですね。
世界を見渡すと、確信犯で身勝手なテロリスト、生活環境を一変させるしたたかな危険人物、本来は個性を大事にされるはずの芸術家の大衆化、学力はあっても思考力に欠ける能無し。などなど。
「世界を終わらせるヤツラ」は顕在化してきています。
僕らは僕らがやりたいことを遮ろうとする障害に対してもっと戦いたい。
戦わなくちゃならい。と語りかけてくれる。
「生きていくための強さ」は願っても「願うだけでは手に入らない」。
では僕たちは何をするべきか?をこの曲から考えさせられます。
ことを起こすときの「勇気」つまり原動力となるのは「正論」です。
「正論」は正しい方向へ向かわせるための論です。
「道徳的(どうとくてき)」に物事を捉えますが、「あるべき方向性」を示したとしても、それは「その人の価値観」であって、矛先に向けられた対象者の背景(生活環境や経過)を無視したものなので、当事者と正論発言者の溝を埋めるのは難しい。
この黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ」はそんな「他者の正論」や「他者が定義する常識」に対する反骨心「ちくしょーちくしょーふざけんなー」のフレーズが耳に残ります。
「相手側の正論」に対する更なる「こちら側の正論」が必要。
ただ、「あるべき論」を語れば「あるべき姿になるか」は別で、「あるべき姿になるため」には戦略が必要です。
絵に描いた餅になるのはそれが原因。
「あるべき姿」を描いた後は「誰に向けて何をするか」が見えていなければなりません。
やる事・やる時期決まった。でも動けないなぜなら「誰がやるか」が決まっていない。
これによって責任の押し付け合いや一歩引く姿勢が生れて実現しないことが多いこと多い事。
実行者が明確ではないと「自分には関係ない」で済まされてしまうのが関の山。
さて、黒木渚の「歌声」は力強くて、元気にさせてくれます。
本気で一緒に拳を上げたくなるから不思議。
それだけ、みんな世界に対して「思うところ」があるんでしょうね。
黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ」の曲調はアップテンポなポップスでピアノが走る疾走感もあり、跳ねる感じがいいですね。
リズムも手拍子(曲中でも入っています)が勢いを強めるので、一緒に「ちくしょーちくしょー」をはじめとしたフレーズを口ずさめながら盛り上がれます。
あまり日常的に「ちくしょーちくしょーふざけんな」って口から出ることは無いですよね。歌なら歌えるし、イライラや鬱憤をためずにできて良いかもしれませんよ。
3.まとめ
いかがだったでしょうか。
黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ」の紹介でした。
ポジティブな反骨心は僕も残し続けたい感情の一つです。
「駆け上がって転げあって人生はコメディ」
古くから同意義として「人生は山あり谷あり」があるのですが、黒木渚は、それらを「コメディのようだ」ときました。
困難を「楽しく乗り切る」。強いメッセージがあります。
成長のステップアップ。いつか笑える日が来る。それを信じて励む。
現状にしか目を向けられないくらい疲弊している僕にとって、突き刺さる言葉でした。
そして、「もっと気楽でいいんじゃない?」と微笑んでくれているようにも思えます。
明日からも頑張ろ。
昔は聖人君子のように「人を悪く言わず真面目に暮らせ」を美徳とする生き方を求めていました。
でも、それじゃ「生き苦しい」。
黒木渚の「ふざけんな世界、ふざけろよ」は「不自然なことは不自然だと正しく主張(拳をあげる)すること」に対して勇気を与えてくれます。
正義感や価値観は、「それぞれが正しいと思ってやっていること」だから、反発も同調もつきもの。
自身が思う本質的な「モノサシ」を築きあげつつ、価値観や正義感が試されるときには、しっかりと発揮する人間になる事。僕の目標はそれにつきる。
モノサシ作りにもっと躍起にならねばねー。
mission complete!