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中島らものエッセイ「恋は底ぢから」。夏の僕の定番を、今年も開いている。

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僕が恋を語るうえで「礎」となった、「中島らも」さんの「恋は底ぢから」を語ります。

 

【目次】

0.出会い

1.浅読み

2.深読み

3.終わりに

 

0.出会い

www.headsamurai.com

4月に「中島らも」さんの名作ホラーオムニバス「人体模型の夜」のエントリーを書きました。

 

この「人体模型の夜」との出会いはテレ朝の深夜枠(ずいぶん前)の「幻想ミッドナイト」のうちの1話「膝」から。

 

僕はそのころせいぜい中学生「中島らも」さんのことなんて、何一つ知らないし、ステレオタイプで申し訳ないけれど「平仮名」で名前を名乗る人は「女性(蔑視の意味合いは全くありません!ごめんなさい!)」と印象づいていました。

 

「膝」のエピソードの「面白・怖さ」と「中島らも」なる未知の作家さんに惹かれて、書店に駆け込むと出会ったのが、今回紹介する「恋は底ぢから」です。

 

僕が初めて手に取った「中島らも」作品は、前出の「人体模型の夜」と「恋は底ぢから」です。

 

なにせ中学生ですから「文庫」で2冊の認識です。

つまり、「(フィクションである)小説」と「(日常生活を風刺したり問題的する)エッセイ」の違いなんて理解できるはずがない。

 

それでも毛色の違う「人体模型の夜」と「恋は底ぢから」の2作に、同時に出会い、触れ合い、10代の頃を過ごせたことは何よりの財産だと思っています。

 

「中島らも」の作品に触れる=幸せになる の図式は間違いがない。

 

でも、ロジカルシンキングではなりたたない。

 

AだからB、BだからC、だからAだからC は成り立たないのです。

 

「イコール」の先が「アル中になる」でも「薬中になる」でも「恋愛馬鹿になる」でも「笑いのアンテナ感度が高まる」でも「大阪が大好きになる」でもなんでもいい。

 

ひとつひとつのアウトプット。その時は幸せなので「疑い」ようがないんです。

 

でも、アル中と恋愛は結び付かないし、薬中と笑いのアンテナも結び付かない。

 

ロジカルに「中島らも」さんのことを語ることは出来ないんです。

 

「人間として」なら「中島らも」さんを語れる。

 

そこだよ。そこ。ちくしょう。なんて魅力的な人なんだ。

 

 

1.浅読み

 

中島らもの「恋は底ぢから」は異色のエッセイではないでしょうか。

 

何かの紙面での連載を寄せ集めたものも「エッセイ集」として成り立ちますが、読み進めていくと、展開が大きくて、「中島らも」さんの懐(思考力・話の広げ方)に脱帽しっぱなしなのです。

 

のちに深読みする「チビの女神さま」からはじまり、「セックスについて」や「いやらしさとはなにか」の論文を積み上げ、次は砕けて本音の「素面に戻っての恋愛論」が走り、「恋するΩ病」と言う実体験も交えた小噺を挟む。

 

最後は「中島らも」式の王道の恋愛論や人生観で締めくくられています。

 

ここまでで、言葉選びが僕は下手ですが、「中島らも」さんのことを簡単に表現すると「本能」の人。

 

その「本能」を引き出すことに夢中で、あらゆるカルチャーを貪欲に求めていた人。

 

もっと簡単に言い切りましょう。

 

「子供」です。

 

僕もそういう生き方を「本気」でしたい。

 

2.深読み

「恋は底ちから」は「チビの女神さまへ」と言うポエム(でいいかな)からはじまります。

 

この「チビの女神さまへ」は主人公が「チビ(と称する)」への手紙をしたためているのですが、「文句」と「願望」が入り混じった複雑な想いを描く。

 

ほんの2ページの文章の中に「追いかける僕と逃げる君」「愛そうとすれば見失いそうになる感情」が見え隠れしていて、その末には「痛みと疲労感を感じる恋」があり、「チビに対して主人公は疑問を投げかけて」います。

 

衝撃的なのはさんざん、ディスったかのような「チビ」に対する言葉。

 

それは「チビの女神さまへ」の本文を、あなたにも読んでほしいので割愛します。

 

僕はこの言葉で、どれだけ心を揺さぶられたことか。

 

なんにせよ自らアクションを取るからには「リアクション」がほしいもの。

 

「チビの女神さまへ」の「チビ」さんはそれでもリアクションを取らないでしょう。

 

そんな画が浮かびます。

 

3.終わりに

この本、特に文庫版の「中島らも・恋は底ぢから」の魅力の一つとして、「版画」のような「挿絵」があります。

 

まるで絵本を読んでいるような「親しみやすさ」と「文章からのメッセージ(読み聞かせられているような)」が伝わってくるからです。

 

ところが「中島らも」と聴くと、「親しみ易さ」とは離れた「もう存在しない作家」とか、「いい歳してマリファナ吸って捕まり、罪に問われたバカ」と思ってはいませんか?

 

ネガティブなニュースは結果として「中島らも」さんを記録に残した出来事でしかなく、「歴史上」語られるようなものではありません。

 

「君の名は」のようなファンタジーの恋愛もいいんだけど、「中島らも」が語りつくす「恋愛の本質を追い求める姿」に、今一度、特に10代の皆さんには触れてもらいたいですね。

 

mission complete!

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