夏の定番「枝豆」。
新潟県のスーパーマーケットのお野菜コーナーではこの「枝豆」が大量に盛られ、飛ぶように売れていく。
そんな新潟に帰りたい。
お金さえあれば、すぐに出来るんですが。。。。
そういえば、家族特に「親子」の絆について、最近考えさせられています。
身内ネタになってしまいますが、先日こんなエントリーを書きました。
BGMはこちらをどうぞ。
Komm, süsser Tod 甘き死よ、来たれ【字幕&日本語訳】 - YouTube
「子供」と言う立ち位置からすると「期待に応えることのできないダメな自分」をこの半生を生きてきたと感じています。
もしかしたら、両親は僕に対して「僕が思うほどの期待」はかけられていなかったかも知れない。
それに対して僕は「失望させたくない」の気持ちを、「建前上の成果」で取り繕おうとしていただけではないだろうか。
いつの日か僕は「あれがしたい・これがしたい」を親に言わなくなった。
そして「あれはできない・これもできない」も親に言わなくなった。
「現実を見ろ」ある時の父親の一言が今でもずいぶん効いている。
その時(多分10代)の僕は尖がっていて「現実を見る」ことは「夢や希望を捨てる(諦める)こと」に他ならないと、思っていた。だから反発をしました。
でも、もしかしたら「足場づくりのための現実と、目標とする高い位置の距離感を見誤るな」と言っていたのかもしれませんね。
夢を見て、希望を実現するためには「自分の現在地」が重要です。
①「このまま淡々と」
②「今以上の努力を」
③「死に物狂いで」
④「もう諦めな」
こんな4つのレベルが浮かびます。
僕が10代の頃に描いて熱中していた「夢」に対する僕の立ち位置は上記の①~④のどこにいたでしょうか。
多分③~④を行ったりきたりでしょう。
それを言葉足らずに父親は僕に話したんでしょうし。
僕も表面上(「現実を見ろ」を)で捉え、「夢や希望なんて持つな」とメッセージを曲げてとっています。
結果、どうなったかと言うと昔描いた「夢や希望」とは違いますが、現在の職場で300人を超える仲間たちに囲まれて、遠慮をせずに雑談やお願いが言い合えてストレスフリーな生活を送れています。
両親に感謝したいのは「万人受けはしないけれど、コミュニケーション能力が誰にも劣らない(と、思っている)僕」に育ててもらったことです。
いつかエントリーを残したいけれど。
コミュニケーション皆無の時がありました。
でも、素質として持っていたんだと思います。
「矢面に立っても恐れない」
「面倒くさいことほどやりたがる」
「ピンチも、思考力で論破する」
ことが出来ると自負しています。
飛べない豚は「ただの豚」体系を意味しているわけではないぜー。
「やること、やれよ。このデブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」で締めくくっていますが、
さて、以前書いたエントリーの本質は「家族の絆はそうそう切れない」と言うことです。
家族関係のこじれは、例え「時間の流れに身を任せ」で「当たらず触らず」でやりすごしても、「いざ」となると「結束力がなぜか高まりやすい」と言うこと。
「一発逆転」的ではなくて「もともと深く強い何か(血なんていうね)」があるんでしょう。
「親の為なら」「子の為なら」「弟の為なら」ってやつです。
今日電話が19時過ぎにかかってきていたようです。
見知らぬ番号が不在着信で残っているので
「何かなー誰かなーこわいなー怖いなー、こーんな番号はーあーったっけなー。」と思いましたが、かけなおしてみると「母」でした。
2015年の3月23日の10時過ぎに話をしたので、2年半近く経ちます。
「なんで、そんなに元気なの?」
聞きたいくらいに元気な62歳。
と、66歳か(父は)。
いきなり「電話変わるねと無理やり交代」
言っていることが2年前と何にも変わらない。
それが「親子の中の時間の流れ」かもしれない。
悔しいけど「親は親」「子は子」か。
距離を置こうと親心ながら思い立ち、断腸の思いで「勘当だ」と宣言したのは両親。
僕は2年で「親子のつながりが復元する機会が来る」なんて思いもしなかった。
今、「物事を動かすためのパーツ(歯車のようなもの)」が「ピタッ」とはまったかのように公私ともに好調です。
わけわからんデブの扱いを除いて
明日は今年最後のバーベキュー。
楽しんで来ようと思います。
親父と酒を飲むかどうかは、その日・その時次第です。
が、僕の夢は親父と腹を割って話をすること。
その為に、飲みたいんですが、さすがに無理ですかね。
「勘当」の原因が「僕の飲んだくれ生活」だったりしますから。
mission complete!