興奮が冷めやらぬ今。
今日は新日本プロレスの真夏の祭典「G1 CLIMAX(ジーワンクライマックス)」の決勝戦でした。
もう、ネットをはじめ各プロレス速報で、流れていますが今大会は、「L.I.Jの内藤哲也」が「G1 CLIMAX27」で「G1」4年ぶり2回目の優勝を果たしました。
まずは両手を挙げて喜びたい。
1.今年のG1 CLIMAX27両国大会3連戦は、新日本プロレスの2017年上期総ざらいだ!
本日の決勝に駒を進めたのは。。。
Aブロックを勝ち上がったのは「L.I.J(ロス・インゴベルナブレス・デハポン」の内藤哲也。
一方でBブロックは「BULLET CLUB(バレットクラブ)」のケニー・オメガ。
最終決戦の両国大会は3連戦。
決勝に駒を進めるかどうかがかかる11日、12日の勝敗で決まる程の混戦でした。
リーグ最終戦の相手は内藤哲也が「棚橋弘至」。ケニー・オメガは「オカダカズチカ」と、2017年上期の新日本プロレスシーンに齧りついてきた人ならば、「非常に贅沢な」カードだったと言えます。
内藤哲也は棚橋弘至と「IWGPコンチネンタル」を、ケニー・オメガはオカダカズチカと「IWGPヘビー」のベルトを巡ってぶつかってきた。
2つのベルト(内藤と棚橋は「ベルト」を超越した想いが見て取れる)4者のドラマを観た後に、決勝(2017.8.13)では、その勝者が交差する。
夢の世界なんです。
結果、「どの組み合わせで決勝を見ても、最高にテンションが上がる!」に決まっているんです。
今日、リアルで決勝戦を観れた方は本当に「幸せ者だ」と思います。
毎大会そう思います。
新日本プロレスのビッグマッチ「G1 CLIMAX」の決勝は「運」だけでは観に行けない。
気は早いですが、もう来年に向けて準備(資金や、お盆期間の忙しい中休みを取らせてくれる環境整備(笑))しなくちゃいけないな。
2.内藤哲也は慌てない。紆余曲折ありながらトランキーロにレスラー生活のスタートを切る。
内藤哲也は僕と同じ35歳。
それだけで親近感の沸くプロレスラー。
でも、もっと親近感が沸く理由が、内藤哲也のレスラー人生を振り返ると見えてくるのです。
①プロレスラーになるまでの過程は順風満帆ではなかった。
野球やサッカーに励むスポーツ少年だった内藤哲也。
「プロレスファン、特に新日本プロレスファン」だった内藤は、生観戦をした試合で発起。
ジムに通うなどして「レスラーとしてのスキル」を身に着けていったそうです。
入り口として、「レスリング」をはじめとした「投げ」や「固め」などの格闘技がルーツでないところが凄い。
ところが、「よし新日本プロレスの入門テストを受けよう!」とした矢先にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、2002年の入門テスト受験を断念する。2003年は負傷した膝のリハビリ中のため、2004年はベンチプレスで肩を負傷のためと、3年連続で受験のチャンスを逃して2005年に念願のテスト合格。
プロレスラーの道を歩みだします。
②ジーニアス(非凡な才能)と呼ばれながらも、主役になれない暗黒期
新日本プロレスでは若手を「ヤングライオン」と称して、「ヤングライオン同士の切磋琢磨」や「海外への武者修行」などを経て「凱旋帰国」の場で華やかにレスラーとしての成長を魅せファンを増やしていく。
と、言うのが布石。
しかし、内藤哲也は「キャリアプラン」がこれまでの「ヤングライオン」とは毛色が違う。
ルチャリブレの聖地メキシコでCMLLに高橋裕二郎とともに「NO LIMIT」で参戦しメキシコでの地位を高めていきます(2009年)。
その後、CHAOSに加(2010年)入。親日本体(特に棚橋弘至)とは壁を作り遺恨・構想がつづくものの、内藤はCHAOSをも追放されてしまう(2011年)。
「どこかの軍団」に属することが決して「成長の為には必須(食つなぐことにもなる)」ではないのでしょうが、内藤哲也にはブレイクするまで「仲間・相棒(パレハ)」に本当に恵まれなかったと思う。
そんな中、内藤哲也の目の前に2012年ある男が現れる。
「オカダカズチカ」。
オカダは何の気ない素振り(自信の表れとそれに違わない実力もカリスマ性もあった)でIWGP戦線に乗り込み、タイトルを獲得する。
2013年、内藤は20代でのIWGPヘビー戴冠もかなわず、G1で優勝してIWGPヘビー挑戦権を手に入れても「棚橋弘至」の提案したファン投票によって「1.4東京ドーム大会」に「本来ではメインのカードであるであろう、IWGPヘビー級選手権試合(対オカダカズチカ)」がセミファイナル扱いとなってしまう(2014年)。
③「内藤哲也」の煌きL.I.Jのルーツは2015年のメキシコ遠征でのことから。
2015年の5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征。
ここでなにかを持ち帰らなかったら浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のあるラ・ソンブラやルーシュらが立ち上げたユニット、ロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables)に加入する。6月26日に凱旋すると、入場時にインゴベルナブレスのキャップ・Tシャツを着用しながら入場するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していった。
この時の戦いぶりは新日本プロレスワールドなどで見れますが、実況や解説者から内藤哲也の試合運びについては、「あまり良い印象は持たれていない」のが、ひしひしと伝わってきます。
試合の遅延、唾を吐く、タッグでもまともにタッチしない。
「大ブーイング」と「新たな勢力の風」が混とんとする新日本プロレスの解除。
内藤哲也の読み(?)にハマるように「L.I.J」グッズを着用するファンの姿は新日本プロレス大会会場を徐々に彩っていきます。
ワールド・タッグリーグへの参戦とともにEVILをパレハとして招集。
EVILとのタッグは、惜しくも真壁と本間の「GBH」に優勝を譲るものの勢いは加速されます。
2016年には中邑真輔やAJスタイルズなどの大量スター選手流出の中、挑んだオカダカズチカとのIWGP戦では「SANADA(最初は会場全体が「誰あれ?」の静けさに包まれる)」、「BUSHI」や「高橋ヒロム」と言ったジュニア戦線で活躍する古くから造詣や遠征を共にした仲間とともに制御不能なレスリングスタイルを貫いていくのです。
3.終わりに
と、言うことで僕が今一番「感情移入をしているプロレスラー」である内藤哲也の紹介でした。
L.I.j(ロス・インゴベルナブレス・デハポン)の「内藤哲也」と言えば、やっぱりあのポーズですね!
これは「Abre los ojosポーズ(アブレ・ロス・オホス)」と呼ばれるそうです。
親指と人差し指を使いながら目を見開く。スペイン語で「目を開け」の意味。
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2009年のメキシコ遠征中、「アジア人は目が細い」という固定観念がある現地のファンから「オマエら、目開いてんのか!?」とやじが飛んできたことを逆手にとり、「俺の目は開いてるぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのがポーズのキッカケ。2010年に凱旋してからは最初の短期間のみ使用されていたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになった。2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げている。
内藤哲也は「目が細くない」と言うよりは「大きい瞳(目力ガンガン)」をしていると僕は思います。
「日本人と言うカテゴライズが先行して、自分を正当に評価されないことがあってはならない」そんな想いを秘めて、このポーズが生れたのでしょうか?
「らしい(内藤哲也「らしい」)」ポーズをレスラー人生の基盤となった地で築き上げられたことは内藤哲也にとって「宝」だと僕はファンの心情として思います。
「Abre los ojosポーズ(アブレ・ロス・オホス)」は内藤哲也以外に似合いませんよ!
「G1 CLIMAX後」のお約束で「IWGP挑戦権利証」の争奪戦が2017年下期は行われるのでしょうか?
新日本プロレス春の祭典「NJCP(ニュージャパンカップ)」と違って、指名したベルトタイトルに「必ず挑戦できる」と限らないのが、モドカシイところです。
とは言え、G1の優勝者は様々な苦難がありながらも「挑戦権利証」を守り切り「1.4の東京ドーム」に乗り込むのですが。。。
「まぐれや、軍団の介入ない場での決着を求めるリターンマッチ」とか「チャンピオンによるチャレンジャー指名」とか「いつ・どこで・だれの使命でも受けるチャンピオンの姿勢」とかいろいろな「仕掛け」がありますが、G1の優勝者には「必ずIWGPヘビーに挑戦できる権利」を確約しても良いのになーと思ってしまいます。毎年、毎年。
とは言え、「1.4東京ドーム」は新日本プロレスが現在年間で唯一行う「東京ドーム大会」。※歴史を手繰ると年間で何回もドーム(動員客数がはねあがる大会を開いていた。客は来るが別の理由で赤字とか、ドーム大会のロイヤリティが薄れることとなったりして地方も含めて「ドーム大会」は縮小傾向)
「ベストコンディション」で戦ってもらう為には、「回復・強化」に使う時間を確保するというのであれば合点がいきますね。
なにはともあれ、両国で僕も絶叫したかったな!
ロス・インゴクヴェルナーーーーーーーーーーーーーーーーヴレェーーーーース
ドゥエッ・ハーーーーッ・ポーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!
mission complete!