約束の9.17.山梨県甲府市内で両親と会ってきた。
その前に。関連する2つのエントリー。
夏に弟と東京駅前で飲んだのだけど、その時に「結婚報告(LINEで聞いていたけど)」と僕が2年半疎遠になっていた「両親と会ってくれ」と言う依頼を受けて2か月かけて取り組んだと言えば大げさなエピソードです。
敬老の日を前に「両親が甲府にやってきた」ので、そのことを書いとこうと思います。
【目次】
1.台風に向かって西に進路を取る両親
2.両親が甲府到着。僕の職場で合流。
3.近隣の「ほうとう屋」で「本場のほうとう」を食す
4.終わりに
1.台風に向かって西に進路を取る両親
決して「台風が来ている」ことを狙って西に向かってきてはいないのですが、新潟県は柏崎市から東京都八王子を経由して山梨県甲府入り。
明日は長野県松本と新潟県上越を経由して柏崎市に帰るとのこと。
父66歳と母62歳のシニアにしてはすごいバイタリティです。
しっかり温泉つき(甲府では銭湯でも温泉は珍しくない)のホテルを予約し、盤石の状態でやってきたそうです。
日本列島を横断?と話題の台風はなんのその、交通渋滞はあったものの「予定通り」の行程だったようですね。
関東地方は雨風すごそうですが、山に囲まれた山梨県甲府市は「ぐずつく」程度の雨模様。平和なもんだ。
2.両親が甲府到着。僕の職場で合流。
16時過ぎに一報が入り、17時半には着くとの予測。
いざ走ってみると30分ちょい遅れるとまた一報。
今日の僕の勤務シフトは16時までだったのですが、時間つぶしする余裕のないほどの忙しさ。
なんせ11日から昨日16日まで6日間職場を留守にしていましたから。
だいぶ部下には迷惑と苦労を掛けたようです。
残業も全員に発生したと聞きます。
僕が着任した1年半前はもっともっと大変だったようなので、状況は改善しているようにも思えますが、「人時が増えども労働力は高まらない」ような実感を「がんばっている人たち」に与えたくはない。
「腐ったミカンの話」をしたのは「金八先生」だったかな。
腐ったミカンが職場に現れている。何かあれば対処せねばならないな。
リアルでも伝えているけど、この場を借りて職場のみなさまへ感謝をしたい。
と、両親を待つ間にも今僕が働く職場で「僕が頑張っていること、たくさんの仲間に恵まれている事」を伝えようと、時間の折を見ては整理しながら時を待ちます。
結果的に両親とは18時をちょっと回ったところで、お店に着いたというのですぐに退勤して待ち合わせ場所へ行きました。
2年半の疎遠と言うと大分歳を取るのかなと思いきやそうでもない。
今の60代は本当に元気だ。
3.近隣の「ほうとう屋」で「本場のほうとう」を食す
1か月前から予約を取っていたので、行列が出来ている店内でしたが速やかに着席とオーダーが出来ました。
9月中旬となり気候もだいぶ涼しくなってきました。
まだ半そでで額に汗しながら働いていますが、朝晩は涼しく温かいモノが欲しくなってきたので「ほうとう」を食べるには絶好の日だったと思います。
僕と父は「辛モツほうとう」、母は「かぼちゃほうとう」をオーダーです。
本当は、「父と酒を飲む」のが夢でしたが、今日は夢にしておきましょう。
来月の弟の記念日には「飲むかどうか」も別として、なんの為に今日この一日(2年半前のあの事)があるのかを噛みしめながら時間を過ごすのが大事。
ここで台無しにしては、いけない。
ほうとうは煮込みに時間がかかるかと思いきや「10分」も待たずに出てきました。
2年半のブランクで会話は進むのか。。。心配とは裏腹に、熱々の「ほうとう」をいただきながら随分と会話は弾みました。
35年間の中で一番率直に話が出来たようにも思えます。
【話した事】備忘録
・職場の話
・離婚の話
・子供の話
・弟の話
・兄の話
・病気の話
・治った話
・タバコをやめた話
・お酒を控えるようになった話
・ほうとう旨いねの話
・祖父の話
・祖母の話
・エナ(実家の三毛猫)の話
・休日の過ごし方の話
・仲間は大勢でも彼女はいないの話 などなど
時間が許せばまだまだ話せたかな。
また一か月後に会うんだしいいか。
腹いっぱい。
話も「ほうとう」も旨かった。
帰りしな店員さんに「新潟から食べに来ました。本場のほうとうは美味しかった」と母は言ってきたそうです。
喜んでもらえる場をセッティング出来て良かったです。
4.終わりに
「家族の絆を本気で強める方法」と大きくエントリータイトルはつけていますが、
「強めることのできる家族の絆」が存在していたこと「家族の絆は断絶することはない尊いもの」であることに感謝をする一日でした。
過ぎ去りし日々の事を蒸し返して「アイツはこうだ、自分が正しいんだ、間違っていない」とのたまうことは良い態度ではない。
だがしかし、「切らねばならない関係」や「ケジメをつけなければならない場面」を過ごして「前向きに進む自分がいること」は、真摯に伝えねばなりません。
僕が2013年から2015年まで長期休職をして、2015年から2017年の春まで完全なる復活に向けて取り組んだ4年間は何だったのか。
自分では理解しているし説明ができる。
「自分」を失い、「他者」に甘える人生を送りたいと願う「病気」だったという事。
人間。それも「自分を愛してくれるだろう人」への依存です。
2015年以降は何もかも自分の身の回りは自分でするようになった。
「早いか・遅いか・間に合ったか」僕の残りの人生の中においてはわかりません。
ただあることは「断ち切れなければならなかった人間関係」をバッサリと断絶したことに間違いは無かったという事です。
「愛される以上に自分が愛したい人を愛したい。」
。。。。交際相手はいないのになぁ。
棚卸の結果は芳しくありません。
試験の手ごたえはありました。
成果発表の結末がまとまりません。
いろいろあるけれど、精神的な疲れはなく自然と会社にも足が毎日向きます。
「頼られている」と自覚しています(誤認ではないよね!?)ので、それが何よりのモチベーション。
「人から頼られる大人になったね」と両親から改まって言われた時には、僕のこの2年半の行動が間違いでなかったことを、自分で褒めてもいいなと思える一瞬でした。
mission complete!