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中卒のバカでもわかるマーケティング

デジタルマーケッターを目指す「へっど」が調査・入手したマーケティング技法や 最新トレンドを発信します。時々くじけることもあるけど泣かないもん。

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【一部閲覧注意】愛すべきバカと、輪をかけてバカな僕の3ヵ月

こんばんはHEADです。

今日は本当に「バカ」だと思う友人と、輪をかけて「バカ」な僕の現実のエピソードです。

 

当事者の僕にとってはそうではありませんが、一部、不快な表現(文字だけですが)があるかもしれませんので、気分の悪くなった方は、即閲覧をやめてください。

 

【目次】

1.「社畜」と言う言葉は、まだまだ「余裕がある証拠?」

2.会社は「人」を平気で切らない社会になったが

3.本当は終わらない「終わり」に

 

1.「社畜」と言う言葉は、まだまだ「余裕がある証拠?」

「会社に飼いならされている」感覚は「サラリーマン」の性ですが、「社畜」と自称する人に伝えたいことがあります。

 

最初に言いたいのは「社畜」と言う言葉なんて「なくなればいい」と言うことだ。

 

~ここからは実体験。親友に許可を得ているので可能な限りリアルに記します。~

 

「僕の親友は、(中略※詳細は後述)5日前、左脚を切断する事態に至った。理由はいろいろだ」

 

ここに至るまで「会社と個人と結果」が複雑に絡み合っています。

 

表現が飛躍しているし、背景を知らない人には「会社」と「個人」と「結果」の因果関係はつかめないと思います。

 

「いとしさと、せつなさと、こころづよさと」の3段落ちのような「すっきり感」や「芸術的な語呂合わせ」もないですから。

 

でも、現実的に「会社」と言うか大きな組織の闇(盲点・欠点)に埋もれ、事実として「病気」になり「身体の一部を失うことになった人」は「いる。」ことをお伝えしたい。

 

【まず顛末の概要】

※注意!!不快な表現があると思うので、嫌な人はスクロールしてください。

 

・2017年の夏から足に怪我をしていて、「肉」が見えている状態。

・それを消毒液や化膿止めガーゼを当てて凌いでいた。

・医者には通院せずに「昔ながらの知恵袋」的な自己流で「その場しのぎ」をしていた。

・9月ごろから業務が激化して上司には自身のミスを責められ、人員は少ない中「社員の自分が頑張るしかない」と朝は6時に職場に来て、帰りは日付が変わってからの毎日が続き休日は無かった。

・食べるのも寝るのも「気づいたとき(意識が戻った時!?)」に。で自己管理できる状態ではなかった。

・12月頭になって怪我している所を中心として左脚が膨れ上がっていた。

・12月中旬、足や気管支、急激な体重減少が気になってはいたが放置。

・職場にくるだけで精一杯。座り込み咳をする場面が続いているので、上司ではないが僕の方から指示し半ば強制的に帰宅させる。

・12月下旬、出勤後に周囲から「異臭がする」と間接的に声が聞こえ、ようやく限界な状態である事に気づく。

・その日の夕刻、近隣の個人医院を受診、足の甲を中心に壊死していたため処置が出来ず、すぐさま大学病院をすすめられ緊急で外来を受ける。

・即刻の入院を勧められるが一度帰宅。

・2日後身辺の整理を行い入院。その間、僕は彼の自宅を訪れ食糧など僅かだが差し入れる。

・12月末入院、壊死した部分を切除(肉をそぎ落とし腱が見えている状態)し洗浄や薬を塗り経過観察と検査を続けながら手術の日程を調整した。

・1月下旬に手術、左脚膝から下を切断。

・現在術後の経過は良好。回復を待ちリハビリを進めながら復職を目指す。

 

「会社」や「社会」や「人間関係」など問題点は多くあったかもしれませんが、主治医の初見が表していましたが「2017年の夏」がターニングポイントで、その時に何が何でも医者に見せてさえいれば、「左脚を切断」する結果にはならなかったかもしれません。

 

幾度となく「不満(ネガティブ)」や「ありたい姿(ポジティブ)」な「本音」を話してくれていた人ですが、「異変」に気づいたときには「遅かった」のです。

 

「ワークライフバランス」を築くのは「自身」で、ほかの誰でもない。

 

だから最終的に「反省」をするのは「当事者」である僕の親友です。

 

とは言え、結果として「親友」は「たられば」で後悔はしていませんし、弱音を吐くどころか「やりたいこと」ばかりを口にするような、「かつての救いようのないバカ(ほめてます)に戻ってきている」のが親友としてわかるので、この顛末は「最悪な結果」ではなかったことは、付け加えておきます。

 

 

 

理由は「生き方」を考え直す、いや、彼にとっては「考え始める」きっかけなっているとお互いに確認できているからです。

 

「今から、生きなおそう。行き苦しい世の中であっても。」と言う、今回の顛末があってのことだからです。

 

僕には出来ない「決断」をした彼。

左脚を失うという「代償」。

 

なんだか「代償」と言うと、彼には悪い。

 

それ位に前向きなので、「応援」なんて生ぬるいものではないので、一生をかけて共に生きていこうと心に決めました。

 

「社畜」を口にするのは余裕がある。

刺激的な表現をしてしまったことは、「働くこと」に痛みを伴っている人に対して失礼なこと。

 

それは、わかっています。

 

「社畜」を称しながら、「自身の進退」を「いつでも決断できる覚悟や気持ちはあっても」たやすく行動に移せない。そんな実情があるでしょう。

 

労働は「買い手市場」から「売り手市場」へ。

転職は自由化されたかのような印象を受けています。

 

僕は事あるごとに「中卒のバカ」を語りますが、「中卒のバカ」は「バカ」なりに、今自身が10歳後半~20歳前半だったら、なんと喜ばしい社会でしょうか。

 

うそみたいでしょうが、入社時は「時給690円、月間168時間働きに来てね。いやならいいよ。変わりはいるから。」これが入社の条件(と、までの虐げる表現は人事担当はしませんでしたけど、配属先ではそんな感じ)でした。

 

食らいつき、なんとか自己アピールをして、経験を積み、辛酸を舐め、、、、。

 

現在に至ったのは僕や親友の、「新卒で就職先に恵まれなかった組」。

 

決して「美しくサクセストーリー」を語る訳ではありませんが、「なんとなく」とか「流れに任せて」では、「その日暮らしも難しかった」経験が昔(昔話ですからね)はあった。

 

選ばれこそすれ、それでも「人」は会社に集まったし、それで成り立っていたのが2000年代です。リーマンショックなんてのもありました。

 

それが2013年頃から変わりはじめ、「人手不足」が言われ始めます。

 

少子高齢化社会への突入です。

 

いつの時代も「若手」は苦労する。

「ベテラン」も苦労する。

 

原因は違えど「生活は苦しい」のが事実。

 

「どの時代に生まれればよかったな」かなんて妄想できない。

 

2.会社は「人」を平気で切らない社会になったが

「産業革命」は「人の力」をエネルギーとした産業実態を打破することを「実現」してきました。

モノを遠くへ動かす、時間を短縮するなどなど「新たな価値」を求めた「人類」による「産物」です。

 

アナログ的なものはデジタル化する。

これが今起こっている「産業革命」です。

 

僕の働く流通業に関して言うと、道具こそパソコンやスマートフォンやタブレットをはじめとする「デジタル技術」を使い、「膨大な情報(時に人)の蓄積と管理」をしたり「効率化すること」を進めていますが、結局は「人」が店舗・事業運営の「核」となりますので、「人を育てる」ことが必須です。

 

接客にしても、最近「ペッパー君」が「某回転寿司」のアテンダントをしてくれていますが、「いらっしゃいませ」の声をAI、ロボット、人の3者で比較すると、あなたは「どの存在」から一番あたたかみや安らぎを覚えるでしょうか?

 

感情の有無とか言葉の丁寧さではなく、「親近感」や「共感」を得るのは、僕は「人間」だと思うのです。

 

未来(年数は諸説言われていますが)、「人間がする仕事」は激減していきます。

でもそこには「人間がする必要もない仕事」もあれば「人間にはできない仕事」もあります。

 

「テクノロジーと人知の勝ち負け」ではないですし、「フィーリング(前述の親近感や共感)」でものごとの価値を比較するものではありません。

 

今、考えなくてはならないのは「人間でしか出来ない仕事は何か?」を問い、導き出した結論である「価値ある仕事」にありつけるように、自らを磨くことだと思うのです。

 

僕たちは「自分が存在する価値」を感じれる働き(課されるノルマ優先の労働ではなく、意思を持った行動)に「充実感」と言うモチベーションがもたらされているのではないでしょうか。

 

そして、それを糧に「明日を生きよう、もっと頑張ろう」とするエネルギーが「より良い社会の実現」には不可欠ではないかと考えるのです。

 

「宇宙人の存在」は目に見えてないから僕は、文献のすべてを信じられない。

あわせて「人間が地球を動かす最強の生命体」なんておこがましいことも考えてはいない。

 

しかしながら、「現実」を、あなたは何を持って実感しているだろうか。

 

僕にとっての現実は「目の前に見えていること」でしかない。

なんて「ちっぽけ」で、なんて「意味のない」、なんて「無力」なんだと思う、そんな些細な出来事の繰り返し。

 

それが僕の現実。

 

3.本当は終わらない「終わり」に

話は飛躍しすぎてしまいましたが、僕の親友は入院・手術と1か月間、僕と違う時の流れの中で僕とは違う「現実」を見ていました。

 

随分と回復していて、お見舞いをするたびに見せてくれる笑顔と、「彼なりに描いている将来」を交えながら語りあう僅か1時間程度の対話が、僕の心の支えとなっています。

 

「3月には車椅子に乗りながら仕事も可能」

「4月には義足をつけて日常生活も可能」

「6月にはこれまでと同じように働きたい」

 

そんな一歩一歩のステップを「夢」ではなく、現実のものとしようと希望を持っている彼には頭が下がる。

 

裏では「現実をまだ、あいつは見ていない。」そんな陰口をたたく奴はいるけど、そんな奴ほど「自分を大切にしていないじゃないか?」と考えてしまう。

 

「現実」「現実」。。。。

 

と僕も「現実」とは何なのかを日々悶々と考えたりしていますが、「現実」の中に「自分のあるべき姿」と「自分がしていること」のギャップを埋めるために「今この時に何かができているか」を「誰もが考えなくてはならないのではないか」と痛切に思うのです。

 

とりとめのない話になり、久々のエントリーで乱文ですが、ここでいったん締めます。

 

2日前の別れ際に親友と交わした「ハイタッチ」。

1か月ぶりに「触れた」よ。

 

嬉しそうだったな。

 

オマエも、僕も。

 

二人はいつまでもバカである。

 

 

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