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最狂の〇〇物語

大好きな相棒と過ごす「笑いあり・涙ありの平凡な日常」。赤裸々につづります。時々くじけることもあるけど泣かないもん。

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妻はXジェンダーそして「人」

この記事が

 

第3者のみなさんの「関心ごと」として捉えられ

「多様性な社会」を唱える非当事者の方には「現実」として直視され

僕と妻が、「生きづらい社会」でも「生きている」ことが

この話の読了後に「誰の心にも」響き、社会が一歩ずつ歩を進めていることを願っている。

XジェンダーX-gender)とは、出生時に割り当てられた女性男性性別のいずれでもないという性別の立場をとる人々を指す。両方を区分する限りでは、中性、無性、両性、性別という枠組みから脱する、女性か男性か定まりきらない流動的であるというあり方など人により様々である。

女性の体に生まれ、性同一性がXジェンダーである人を「FtX」、男性の体に生まれ、性同一性がXジェンダーである人を「MtX」、男性の体・女性の体に非典型的なインターセックスの体(性分化疾患)を持ち、性同一性がXジェンダーである人は、自身を「XtX」と呼ぶことがごく稀にある[1]

読み方はエックスジェンダーであり、クロスジェンダーではない(数学用語の「第一の未知数X」の類義語であり、「交差」の意味は無い)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/X%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

0.妻との奇跡の出会い

妻と出会ったのは、2016年の7月の事でした。

確か何かのイベントで、たまたま同席し、「お互いの存在を知った」程度で、「であった」と言うには、程遠い距離だったのを覚えている。

妻の苗字を知る「きっかけ」で、あったことを「出会い」と思いたい。

そんな距離感です。

 

顔とか、姿とか、惹かれる「きっかけ」は色々、人さまざまなんだと思いますが、

「〇〇さんと言う人がいる」と言う「きっかけ」から発展することは、稀ではないでしょうか。

 

ひとまず、同じ職場に「〇〇さん」と言う人がいて、人懐こく、秀でた画力(妻は絵を描くのが得意です)で、賑わせている人がいる。

ただただ、それだけだったんです。最初は。

 

1.妻はXジェンダーだと言う(僕にとっては「自称」の感覚)

「妻がXジェンダー」だと知ったのは、お付き合いをして、すぐのこと。

 

「内心」も「今も」変わらず、妻は「Xジェンダー」であることを、悩み葛藤しています。

 

しかしながら、僕は「性別のくくり」を全く意識していない人間なので、「結婚を前提に」ではなくて、妻と一緒にずっといたいから、「結婚」を申し込みました。

 

二つ返事では無かったけど、一緒に生活をはじめてから、1年が経ちます。

※戸籍はひとつになっています。

 

事実上(日本国憲法に則った)の「婚姻関係」が妻とあります。

たまたま、「戸籍上の性別」が、「男女で分かれていた」に過ぎません。

 

妻と結婚生活をしながら、僕なりに日々感じ、考え、望んでいることは「誰もが平等に扱われ、能力を発揮できていると感じれ、生命の保証がされている社会」だけではなく、根本的に「誰もが、いつ、どこにいても、自分の存在を信じ、前向きに生きて支え合っている社会」なんだということ。

 

現在、妻は妊娠11週目です。

性別(戸籍)上は「女性」であることに「違和感」を感じている姿を、僕は毎日、目の当たりにしています。

※妊娠がわかった最初の頃は、妻は本気で「お腹の子供を降ろしたい」と言っていました。妻が生まれ育った環境も複雑なようで、母親像すら、苦痛だと言うことの様でした。

 

 

性別。年齢。国籍。戸籍。生態。

さまざまな人を受け入れようという考え方が、近年は進んできていると思います。

 

「多様性(ダイバーシティ)」と言うキーワードは、誰もが日常的に(とは、いかないか)耳にする概念として、浸透してきています。

 

「多様性」の出発点は、「色んな人がいること」を「認める」とか「活用する」とかの活動は、政治・政策的に進められています。

 

「障がい」「性別」「学歴」「国籍」「年齢」などの「区分」は、僕としては「無意味」だと思いますが、「線の引き方」が、これまでの日本・社会は下手だったんだろうも思います。

 

社会の中で「役割」を割り振るためには、大多数の「賛同」「信用」を得られなければなりません。

 

「自分との共通点探し」が、あらゆる選択の中にあるんじゃないかなと。

(例えば、外出先でランチを考える際にも「空腹感」「金額」「混雑具合」「昨日食べたもの」などなど、自分の環境にピタッとはまるもの(体が受け入れようとする共通点)を探しませんか?)

 

「社会「的に存在している「個人・個性」を線で引くことの「良し悪し」の話ではなく、大多数から「(じぶんはそうじゃないけど)理解しよう」と言う「波」を起こすにはエネルギーがとても(図れない、数字や図で表せない位)必要ですね。

 

「妻が自身の性の事を『Xジェンダーである』」と話をしてくれた時は、「驚き」のようなものは無く、「Xジェンダーっぽい(よくメディアでやってるホモとかレズとかオカマとかオネェとか、そういう表現ではない)」とか、まったく「気にしない」自分がいた。 ※あくまでも、妻と向き合う僕の当事者としての視点で書かせていただいた。他意はない。

 

僕が妻に惹かれるものが、「異性」とは「別次元のもの」だからなのだろうか。

 

 章のタイトルに副題のように「自称『Xジェンダーの妻』」と書きました。

 

社会なんて大きなものではなくて、もっと小さな周囲の環境の中での『通称』ではないし、「僕は何も『妻』が『いつも通りの妻(僕と妻が「食う・寝る・遊ぶ」で何も不自由しない関係、一緒に居ると、癒されるし和むつながり)』でいるから。

 

「自分を何かに置き換えて、相手に自分のことを理解してもらいたい」と表現するから、「自称」

 

僕の中では、妻が「Xジェンダー」であろうともなかろうとも、「妻」の「個体」を認識し必要としているから、あくまでも「自称」のことと思ってしまうのです。

 

 

 

 

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